私が、常日頃、自分に言い聞かせていることは、クライアントから受任した仕事を遂行していく過程において、「徹底的に考え抜くということを放棄してはならない」ということです。
一つ一つの事件というものは、すべて事件ごとに特色を持っております。事件の当事者も人それぞれに価値観や考え方が異なり、適用される法律、事実関係、事実関係を裏付ける証拠等、すべて事件ごとに異なっています。そのような状況において、事件の筋を見極め、様々な利害関係を調整し、論理力・推理力を発揮し、法律を駆使してベストな結論に導くためには、膨大なエネルギーを費やさなければなりません。しかし、そこにこそ弁護士としての真の価値があるのであり、その付加価値に対して決して少なくない対価が支払われるのです。
巷には数多くの法律事務所の宣伝広告が溢れ、そこでは安い費用で顧客の奪い合いが横行し、多くの事件が形式的かつ大量生産的に処理されている状況が見受けられます。現在の世の中のように、多くの法律的な紛争が起こっている社会においては、それに対処するための画一化されたスキームが考案され、大量生産的に事件を処理していくというビジネスモデルが構築されていくこともまた今日の社会においては必然なのかもしれません。
しかしながら、この世に生を受けた一人一人がかけがえのない代替不可能なonly oneの存在であり、人それぞれに人生があります。弁護士は、その人々の社会的な問題を解決するという職責を担っている以上、私は、クライアントの一人一人の人生にフォーカスし、自分の有している論理力・推理力・法律的知識を最大限に発揮させて、自分の人生観・価値観・感受性・良心等の全人格をもって一つ一つの事件に臨みたいと思っております。そのためには、クライアントと弁護士とが深い部分で共感しあっていることが必要であり、そのような関係性から紡ぎだされていく論理や説得力というものは、代替性のない、大量生産的システムでは絶対に達成することのできない「唯一無二の手作りの仕事」であると考えます。このような「唯一無二の手仕事」から導き出される論理力・説得力をもってはじめて裁判官や相手方を筆頭に事件関係者を説得させることが可能となり、ひいては最良の結果をもたらすことが可能になるものと確信しております。
私の弁護士としての存在意義は、この「唯一無二の手作りの仕事」を成し遂げることにあるものと自負しており、私の弁護士としての理念の根幹をなすものです。